志賀直哉の「暗夜行路」を読んだのは、約10年ほど前になります。前編、後編の2部作でいつもならダラダラと読み進め、1年以上かかるところをさほどなく読了した気がします。

「暗夜行路」の巻末の書評だったと思いますが「先生の文章は立っているいるように感じます」といった、感想が書かれていたのが今でも覚えています。

立体感のある文章という意味であると思いますが、確かに志賀直哉の文章は描写力が卓越していて、なんということのないストーリー展開でも文章の読み応えで最後まで読むことができました。

 

さて、『城の崎にて』に話を戻しましょう。

昭和の深い小説の滋味に触れたくて、島崎藤村や谷崎潤一郎などの文庫を漁っているうちに、そういえば「城の崎にて」はまだ読んだことがなかったことに気づいて本を取りました。

志賀直哉の作品の中でも教科書で取り上げてられたり、舞台となった城崎温泉の観光PRとあいまって食傷気味ではありましたが購入しました。

タイトルのみの情報しかなかったので漠然と温泉地の風景描写も楽しみに読み進めましたが、作品中では温泉場の雰囲気など微塵も感じられません。本作は志賀直哉の実体験であり、エッセイ的な側面も併せもっていることからこのようなタイトルになってことは推察されます。

小説として味わいはもちろんですが、このタイトルにした以上、何故温泉場の描写がなかったのかは、不可思議です。

冒頭部分は雑ともいえる程ぶっきら棒なのに、蜂の死骸を見つめる目は細かく描かれていて、読んでいるこちらとしては、気分が悪くなるほどです。

出典:温泉部(https://onsenbu.net/15544)

 

ITばかりがもてはやさせる世の中で私小説というのは、ずっと隅に取り残された感がありますが、私の中では以前「朴訥」で「清貧」で純粋です。少々かび臭い文庫に触れれば、それはそれで懐かしさがこみ上げてきます。

 

五十の坂は闇また闇

どこかで砧の打つ音がする

こちらへおいでおいでと手招きしている  (鮎川信夫)

written by doctorg3

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