最近までUX=ページのスクロールに応じたアニメーションやボタンアクション、だと思いこんでおりました。
こんにちは、doctorg3です。
(出典:ウィキペディア)
しかし最近「UXミルク」の記事を愛読(弊社ではチャットボットで日々配信されています)しながらその考えが誤っていることに気付かされました。
UXライティングやUIテキストという言葉に触れた時、すくなからず驚かされました。
UX、UI=ビジュアル=見た目でサイトの導線を判断する。
ライティング、テキスト=脳が論理的に解析して行動の指標とする。ビジュアルとは別の経路。
確かに「experience=体験」ですから、サイトの中でユーザーが体験するもの全てがUXに該当するわけです。
アニメーションはもとより、テキストもコメントも写真のキャプションでさえ。
UXといえば、ユーザーをカートや問合せフォームという「ゴール」へ導くための仕掛け・機能という固定概念から抜けきれていない。
UIはビジュアル、テキストはロジック、棲み分けを前提として見ていたために一部のサイトでは居心地の悪さを覚えた記憶があります。
しかし、彼らがUXを語るたびに、それは「機能」では説明できないほどの世界感を持っていることに気づかされるのです。
UXを語るときによく引き合いにだされるのは、行動生理学、心理学、色彩学、等々。
あたかもwebそれ自体が新しい学問であるかのように語られるたび、その多様さに萎縮する自分がいるわけです。
ユーザー体験=釣り
これまでは、ゴールまでの過程を釣りに例えて説明することが多かったように思います。
サイトの訪問者は魚。
魚を釣り上げるためには、ページのあちらこちらに餌を撒きます。
ゴールに近づいてきたら、すかさずアニメーションなどでちょっとした「楽しさ」を与え、餌に食いつかせる。
その楽しさがUXだ、と。
しかし、今ではこう考えます。
UXを端的に説明しようとすると、機能ではなく存在だ、と。
そこで今回の標題です。
存在としてのUX
であれば、存在を例えるならば何か?
ホテルの案内係、ポーター、旅館の中居さん、執事。
執事というと白髪の老人、人生のベテランで聞けば何でも知っている。そんな印象。
ある商品の購入を検討するためにそのサイトを訪れたユーザーに
まず初めに商品の機能を知らせる。
次に他の商品と比較したページに案内する。
改めて写真を確認させ、熟考させる。
他のユーザーのレビューなどもございますが、いかがいたしましょうか?などと声をかける。
そんなことを想像します。
ん?これはもうAIの仕事か。しかし、AIは訪れた先から声を掛けられるのでちょっと迷惑。
電気店の店員のようにビジネススマイルで近づいてきて、いざ訪ねても想定される解答しか得られない。
それではあまり意味はない。
ある程度サイト内を回遊させて、商品の良さを控えめに主張する。
控えめでありながら、聞けば的確な解答が得られる、そんな存在であってほしいのです。
コメント