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11月25日は、憂国忌であった。

1970年のその日、三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決した日だ。

いまとなっては、危険な思想家だった彼の行動が、社会に大きな影響を及ぼしたことは間違いないが、自分にはどのように考えてもその行動を理解できない。

自分の中には日本という国の将来を憂いて死を選ぶという決断はあり得ない。

稀代のスーパースターでベストセラー作家の彼が、何故そこまで危険な思想に傾倒していったのか、毎年この時期が来るたびに考えさせらる。

当時は大々的にニュースで取り上げられたであろうが、まだ6歳の自分にはわからなった。

その12年後、神楽坂の新聞販売店で新聞配達をしていた折り、たまたま市ヶ谷駐屯地の辺りを回る順路があり、先輩から三島の自決事件のことを聞かされ、気味悪く思ったものだった。

市ヶ谷駐屯地のバルコニーからビラをばら撒き、自衛隊員に決起を呼びかけた

 

事件当時の日本は、日米安保反対の嵐が吹き荒れていた。

全共闘の学生達が政府への反対運動を繰り広げ、あちこちでバリケードをはり、闘争と紛争に明け暮れていた。

成田空港建設反対、日米安保反対。大学内部のいざこざから果ては、東大安田講堂立てこもり事件では、機動隊8500人を動員する騒ぎとなり、歴史に残る大きな事件となった。

日米安保条約と言えば、日本は軍備を持たない代わりにアメリカの傘の下で他国の脅威から守られる、という図式だ。

 

決起事件の約1年ほど前から自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成している。事件当日、その楯の会のメンバー4名とともに市ヶ谷駐屯地のバルコニーから自衛隊の決起を叫び、日本の行く末を案じていた。後に見た当時のニュース映像では、自衛隊員の怒号と罵声で三島自身の声はほとんど聞き取れかなったが、蒼白な表情、震える声が彼のこの後の決意を物語っていた。

冒頭の写真は、死の一年前、東京大学駒場キャンパス900番教室で行われた討論会の模様。

集まった学生は約1,000人、三島を敵と見なし論破するべく集まった学生達だ。

この模様は映画化もされ、過去の映像がYoutubeでも公開されているので、興味があるかたは見てほしい。

当時の大学生は、社会と政治への不満で充満し、勉強そっちのけで学生運動にのめり込み、常に何かに苛立っていた。

クイズ番組やバラエティーに引っ張りだこの昨今の学生を彼らならどう見ただろうか。

「時代」と言えばそれまでだが、平和な日本の象徴とすれば、歓迎されるべきことか。

written by doctorg3.

 

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